韓国国民の怒りが「反文在寅」に向かわず、「反日外交」が止まらない理由
牧野愛博
2019/09/30 06:00
Photo:EPA=JIJI© Diamond, Inc 提供 Photo:EPA=JIJI
韓国の文在寅大統領が、数々のスキャンダルが次々に発覚し、”タマネギ男“とメディアなどで批判を受け火だるまになっていた曺国・前大統領府民情首席秘書官の法相起用を決めた。
曺国氏は「文氏の分身」といわれる側近中の側近とはいえ、世論の反発が強い中での起用は、自らの政権基盤が崩壊するきっかけにもなりかねない。
検察は、曺国氏の自宅などを捜査し、連日、関係者の聴取を進めている。
それなのに、なぜなのか。それは、文政権の対日強硬姿勢が当面、変わりそうにない理由でもある。
受験を巡る不正は「タブー」
政権の命運にかかわる法相起用
曺国氏のさまざまな醜聞が広がるなか、韓国の知人は「特に若い世代と受験生を親に持つ世代がカンカンだ」と語る。
とりわけ怒りは、曺国氏の娘の高麗大学入学を巡る疑惑に集中している。韓国人にとって、徴兵と受験を巡る不正は、絶対に許すことができない「タブー」だ。
韓国では、サムスンなどの財閥企業に入り安定した生活を得るには、京畿などの名門高校に入り、さらにはソウル大や高麗、延世大などに進学するのが数少ないエリートへの道だ。
そのために大学への進学率は約7割で、少しでも良い大学を目指して「ヘル朝鮮」と自虐するほどの激烈な競争が繰り広げられる。早ければ2~3歳児から、英語教育などを受ける。
小学校高学年になれば、塾(韓国では学院と呼ぶ)通いで、帰宅は午後10時という子どもざらにいる。自治体ごとに、午後10~11時ごろから翌朝5~6時ごろまでは、塾の営業を禁じる条例を定めている自治体も多い。
そうでもしなければ、子どもはずっと勉強し続けることになりかねないからだ。
塾の先生は「高校時代はお前の人生から削り取れ」と叱咤し、ひたすら勉強を強いる。それほどの競争社会が広がっている。そこに、社会のエリートの子女が努力もしないで入学をすれば、その怒りがどれだけすさまじいか想像もつくだろう。
そうなると、たとえ違法行為がなかったとしても、大学に何らかの働きかけをしたという事実が認定されれば、曺国氏の政治生命は終わることになるし、批判は文大統領自身にも向けられるだろう。
なぜそんな状況で、文大統領は曺氏を法相に起用したのだろうか。
国内の支持率が
唯一の判断基準
確かに曺氏は、日本企業に損害賠償を命じた大法院(最高裁)の元徴用工判決について、反対する勢力を厳しく批判するなど、「文氏の分身」「文氏の代弁者」などと呼ばれてきた人物だ。
曺氏が法相として、文政権が掲げる「検察改革」を成し遂げれば、曺氏は一躍、次期大統領の有力候補に躍り出るだろう。韓国では過去、大統領が退任後に疑獄事件などで逮捕・拘束されることが繰り返されてきたが、曺氏が後継者になれば、文氏は退任後も安泰だ。
だがそれにしても、曺氏を起用するリスクは極めて大きかった。それは文大統領自身も強く感じていたようだ。
曺氏の法相起用を決めた9月9日の前日、7、8両日の週末は大統領府にこもり熟考したと伝えられる。
韓国の知人たちにその時の様子を尋ねると、悩みは大きかったようだ。
「あまりに曺氏の世論受けが悪いので、悩んでいる」
「曺氏の訴追を目指す検察を抑え込めるかどうか、慎重に判断している」
「曺氏を起用すれば世論は反発するが、起用しなければ検察に対する敗北が浮き彫りになってレームダックになる。どちらがよりマシか考えている」
などと話していたという。
知人たちが挙げた「文在寅氏の思考論理」で共通していたのは、文政権の支持がどうなるかという一点だった。
来年4月の総選挙、さらには2022年春の次期大統領選をにらんだ計算ということだった。
曺氏の法相起用を決めたことで、文政権の支持率はどうなったか。
結果は興味深いものだった。
韓国の世論調査を見てみると大体、曺氏の法相起用を批判する世論が5~6割で、賛成する世論を10~20ポイント上回っている。
その一方で、文政権を支える与党、「共に民主党」の支持率は相変わらず40%前後を占め、最大野党「自由韓国党」の30%前後を引き離している。
文政権の支持率も40%台後半を維持している状態だ。
この数字をみると、韓国の人々は曺氏の起用に怒ってはいるものの、それが、「共に民主党」などの進歩(革新)勢力への批判につながっていないことがわかる。
2017年秋、側近が、娘をソウルの名門、梨花女子大へ不正に入学させた同じような疑惑が噴出した後、30%程度あった支持率がみるみる減って1桁まで落ち込んだ朴槿恵前大統領のケースとは極めて対照的だ。
保守派支持は増えないと判断
朴前大統領への根強い批判
文大統領は、「曺氏を起用しても、野党の保守勢力が、支持率を上げて利益を得ることはない」という見極めがあったから、正面突破を図ったのだろう。
もちろん、曺氏自身の疑惑が拡大すれば、今後の事態はどう転ぶかわからないが、文大統領は少なくとも現時点で「保守勢力が進歩勢力を上回る支持を得て、政権を揺るがすような政局にはならない」と読んでいるようだ。
国民は怒っているのに、野党には票が流れない。その理由は、毎週土曜日にソウル中心部の光化門一帯で行われている保守派の「太極旗集会」に行けばわかる。
この集会は2017年3月の朴槿恵前大統領の弾劾や5月の文政権発足などを契機に始まり、ずっと続いている。
日米などの一部メディアは、日韓関係悪化後、「文政権支持者の『反安倍集会』より太極旗集会に集まっている人の方がずっと多い」、「文政権が国民から見放されている証拠だ」などと報じているが、その解釈は正確ではない。
集会に参加している人は50代以上の高齢者がほとんどだ。しかも、「文在寅退陣」と共に必ず掲げられるスローガンがある。「朴槿恵無罪」「朴槿恵即時釈放」だ。
集会の参加者は、朴槿恵前大統領の地元で保守派の金城湯池と呼ばれる大邱・慶尚北道と縁があったり、朝鮮戦争などで大きな被害を受けて強い反共に転じたりした人々で、幅広い層が集会に来ているわけではない。
大多数の国民はまだ朴・前大統領を許していない。筆者が8月にソウルを訪れた際も、「朴槿恵は許せない」という声を多く聞いた。
不正入学のほかにも、自らの財団への出資を企業に強要したり、サムスンなど財閥企業グループの再編や経営に介入し賄賂を得たりした側近の崔順実被告の一連の事件への関与と、それを許した朴前大統領に対して、依然としてまだ多くの国民が厳しい目を向けているのだ。
韓国はおおざっぱに分けて、選挙の際の支持層は「保守4割、進歩(革新)3割、無党派3割」と言われる。現在は「進歩4割、保守3割、無党派3割」の状態が続いていることからも、朴・前大統領に対する国民の批判がまだ収まっていないことがわかる。
すべて内政中心の思考
「反日」外交はその結果
こうした国内の支持率が高い政治環境ゆえに、「内政中心」の文政権は外交政策についても修正する機会を失っている。
文政権の思考はいつも内政中心だ。外交は内政の延長線でしかない。
文政権の支持層は、1980年代前後に、民主化運動などで保守の軍事独裁政権と戦った。「386世代」とも呼ばれ、この世代の支持を得て大統領になったのが廬武鉉・元大統領で、文氏はその側近だった。
当時の軍事独裁政権を支えたのは、安全保障では米国であり、経済では日本だった。当然ながら、文政権の支持者たちは日米とは縁遠くなる。
文政権が知米派や知日派の外交官を退けたのは、そういう理由がある。
一方で保守政権と「体制競争」を繰り広げた北朝鮮には、同じ民族という同朋意識とともに、「敵の敵は味方」という論理で親近感を持つ。だから、文政権は南北融和政策に傾く。
こうした思考は対日外交でも同じだ。
多くの韓国の知人たちからは、「文政権について反日というのは正確ではない。無関心というべきだろう」、「すべて内政中心。対日外交はその結果にすぎない」という話を繰り返し聞かされてきた。
実際、文政権は発足当初、日本との積極的な対話を目指した。安倍晋三首相は初めて文氏と会談した後、周囲に「朴槿恵氏よりも親近感が持てる指導者だ」と語っている。
それは、朴前政権が慰安婦問題で日韓関係をこじらせた経緯があるからだ。
当初、対話路線を推進した文政権は、安倍首相が日朝首脳会談を模索していることを知ると、側近の徐薫国家情報員長がカウンターパートの北村滋内閣情報官に、朝鮮労働党統一戦線部の金聖恵統一戦略室長を紹介した。
だが、安倍政権が米韓合同軍事演習の中断に懸念を示し、北朝鮮に対する制裁堅持を訴えると、文政権は徐々に不快感を募らせ、安倍氏と文氏の信頼関係も薄れていった。
支持率下がればより強硬に
差し押さえ資産の現金化、年内にも
おそらく、日韓関係がここまで険悪化すると、文政権は支持率が維持できる状況では、これまでと同様の「内政次第の外交」を展開するだろう。
支持率が下がり始めたら、逆にさらに「外交を犠牲にした内政」を始めるだろう。愛国心などに訴えて国民や支持者の結集を図るというやり方だ。
文氏が大統領府幹部として支えた盧武鉉大統領も2004年、韓国国会から選挙法違反などで弾劾の議決を受けた。支持基盤だった進歩勢力の一部が離反し、保守勢力と手を握った結果だった。
文政権も今後、支持率が落ちて、「共に民主党」の支持率を大きく下回るようなことになれば、将来、弾劾されないという保証はない。
19年春の総選挙での当選を目指す与党議員たちが、「文在寅氏を政治リーダーとして担ぐメリットがない」と判断しかねないからだ。
そうなりそうな時は支持率確保に向けて遮二無二突き進むだろう。対日外交姿勢もますます硬直化する可能性がある。
ただ現状では、上述したように、韓国の保守勢力は比較的、日本や外交に理解があるが、「朴槿恵疑惑」の清算が終わっていない。
これから年末にかけ、来年4月の総選挙に向けた党公認候補選びが始まる。
保守勢力の第一党の自由韓国党の場合、資金に余裕があり、選挙に強い大邱・慶尚北道を地盤とした親朴槿恵派が依然、党を牛耳っている。
一方で、自由韓国党内や他の保守勢力は、朴前大統領に対する国民感情を意識せざるを得ず、必ずしも一枚岩ではない。
この流れで公認候補が決まっていけば、いくら曺国法相を巡る国民の批判が高まっても、保守が圧倒的な勝利を得ることは難しいだろう。
日韓関係改善を探る動きはなくもないが、現時点では、韓国が日本に対して理解のある態度を示すようになる可能性は高くないようだ。
大法院から元徴用工らへの損害賠償を命じられ、差し押さえられたた日本企業の韓国内資産の現金化は、早ければ年内にも行われる可能性が高まっている。
(朝日新聞編集委員 牧野愛博)