「映像をインターネットに配信して収入を得ていた……」
8月30日、北朝鮮を訪問中に一時拘束されていた滋賀県出身の映像クリエーター・杉本倫孝さん(39)は、外務省の事情聴取に対しこう説明したという。杉本さんは北朝鮮への渡航歴が複数回あり、今回も中国を拠点とする旅行会社が企画したツアーに参加。北京経由で平壌入りし、10日に北朝鮮西部・南浦(ナムポ)で拘束されたとみられている。
北朝鮮国内を巡るツアーは、現地の旅行会社と調整し、観光客のリクエストに沿ったプランが組まれ、ビザの取得もサポートしてもらえる。予算は3泊4日で25万~30万円程度。北朝鮮は現在162か国と国交があり、近年、外国人観光客も増加傾向にあるといわれているが、観光客は事前に北朝鮮側と調整した場所しか訪れることができず、滞在中は2人の「案内人」がついて回るなど、旅先の行動が常に“監視”されることでも知られている。
もちろん、トラブルに巻き込まれれば身柄を拘束されることもあり得るが、’12年に『隣人。38 度線の北』(徳間書店)を発表するなど、北朝鮮の庶民の姿を撮り続けてきた写真家の初沢亜利氏も、そんな思いもよらぬ体験をした一人だ。初沢氏が当時の状況を振り返る。
「北朝鮮の空港では荷物検査と同時に、スマホの通話履歴や画像データをチェックされるのですが、今年2月に訪朝した際、ここで引っ掛かってしまった……。完全に僕のミスで、直前に開催されていた平昌五輪で話題となった金正恩朝鮮労働党委員長のソックリさんの写真を2~3枚スマホで撮っていたのです。
北朝鮮では外国人観光客でも、金委員長を呼び捨てにすれば罪に問われるため、私も即座に空港の別室に連行されました。何度も訪朝していますが、拘束されたときはオットー・ワームビアさんのことが頭をよぎりました……」
© SPA! 提供 日刊SPA! 北朝鮮では、’16年に米国人大学生のオットー・ワームビアさんが、滞在先のホテルにあった政治宣伝ポスターを盗もうとしたとして身柄を拘束されている。その後、ワームビアさんは国家転覆陰謀罪で労働教化刑15年が確定。約1年半にわたって投獄された後、人道的理由から釈放されたものの、昏睡状態のまま帰国させられ数日後に死亡した。
米国政府はこの事件以降、北朝鮮への渡航情報を最高レベルの4(禁止)に引き上げ、それでも訪朝したい場合、遺言状の作成と葬儀の手配を義務付けることとなったほどだ。初沢氏が続ける。
◆案内人の目を盗んで単独行動に出た?
「取り調べでは『日本人に見せるためのもので、決して北朝鮮人には見せない』と説明して、どうにか納得してもらいました。結局、調書を取られ数時間で解放されたが、スマホは没収されましたね。当局はアドレス帳やメールのやり取りを当然チェックしたはずです。仮に、内調(内閣情報調査室)や公安(調査庁)と関係があれば拘束されていたはず。
北朝鮮を旅行すると必ず案内人2人が随行しますが、彼らは当局や市民と旅行者がトラブルになるのを防ぐ役割を負っている。旅行者を無事に帰国させるのが仕事なので、むしろ旅行者を守っているわけです。もちろん監視目的の意味合いはあるが、案内人を鬱陶しく思って勝手な行動を取ればトラブルになるのは当然のこと。
おそらく今回の杉本氏のケースも、案内人の目を盗んで単独行動に出たことが拘束された理由なのではないか。南浦は、軍の施設がある町として知られていますし」
米国の北朝鮮専門サイト「38ノース」によると、北朝鮮がこれまで公開してきた金正恩委員長が現場指導を行っている場所の多くは、「南浦特別市箴進里(チャムジンリ)にある北朝鮮でもっとも古い弾道ミサイル生産施設付近」と伝えている。
一方、初沢氏が言うように、旅行者が日本の情報機関と繫がっていれば、当然、厳しい目を向けられることになる。’99年に「スパイ容疑」で拘束され、2年2か月にわたり北朝鮮で抑留生活を送った元日経新聞記者でジャーナリストの杉嶋岑(たかし)が話す。
「’86年に日朝平和友好使節団『アジア平和の船』の訪朝団に参加したのをきっかけに、同僚の記者から内調の人を紹介されて、北朝鮮を旅行したときのビデオ映像や写真を提供していました。
ただ、私が回っていたのはあくまで通常の旅行者が訪れるルートで、高度な国家機密など含まれているわけもなかった。つまり、『スパイ活動』に当たるとは考えもしなかったのです。日本のためになれば……純粋にそう思って渡していたのですが、5度目の訪朝を終えて空港に向かう際、クルマに乗せられて平壌市内のホテルに連行されました」
その後の取り調べは苛烈を極めたという。杉嶋氏が続ける。
「5回ほど軟禁場所を転々としたが、施設によって食事や住環境が大きく異なるので苦労しました。郊外の山荘のような場所では、冬には気温がマイナス25度にもなるのにオンドル(床暖房)もなく、室内でもマイナス15度の寒さ。2年2か月の間に風呂には6回しか入れず、食事の米飯には粟が混じり、ときには小石まで入っていた。
私が何か言えば日本に迷惑がかかる……。そう思って、黙秘を貫き自殺を試みたこともあったが、長期にわたる取り調べでわかったのは、私が内調や公安に渡していた情報のすべてが、北朝鮮当局に筒抜けだったということ……。
日本の情報機関の杜撰さは今も変わっていないように感じますが、’02年9月の日朝国交正常化交渉が始まる前に、私を取り巻く状況は一変し、その後、突然解放されることとなったのです。北朝鮮は私の身柄を交渉の取引材料にしようとしたものの、日本政府がまったく応じなかったため、これ以上拘束していても意味がないと判断したのでしょう。今回の杉本さんも、北朝鮮側が日朝交渉に向けて外交カードにならないと判断したことで解放されたのではないか」
外務省も「自粛」を呼び掛けているかの国への渡航は、くれぐれも注意すべきだろう。
●安倍首相は意欲見せるも日朝会談は実現可能か?
8月28日、米紙ワシントン・ポストは、北村滋内閣情報官と北朝鮮のキム・ソンヘ統一戦線策略室長が7月にベトナムで極秘に会談していたと報じた。3日にはシンガポールで河野太郎外相が李容浩外相と接触。安倍晋三首相も日朝首脳会談実現に意欲を見せているなかで起きた事件だけに、外交カードとなってしまうことを懸念する声もあった