本当はコワい童謡、「指切りげんまん」の歌詞の意味とは?
2019/09/22 16:00
吉原の遊女の風習がもとになったといわれる「指切り」(イラスト/竹本佐治)© SHOGAKUKAN Inc. 提供 吉原の遊女の風習がもとになったといわれる「指切り」(イラスト/竹本佐治)
名物アラ還ライター・オバ記者こと野原広子は先日、取材で地方を訪れた時、子供たちが数人で『はないちもんめ』を唄いながら遊んでいる光景を目にした。あぁ懐かしいなぁ、自分にもあんな頃があったなぁと目を細めたものの、それと同時にあれこれ思い出したことがあるという。
そう、誰もが子供の頃、なんの気なしに口ずさんでいた童謡の数々には、実はとってもコワい意味が込められていたことを。オバ記者が「本当はコワい童謡」の『指切りげんまん』に迫る。
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◆『指切りげんまん』
指切りげんまん 嘘ついたら針千本のます 指切った
吉原などの江戸時代の遊郭では、遊女が意中の男性客に誓いを立てるため、自らの小指の先を切って渡すという儀式的な風習があった。げんまんは「拳万」と表し、嘘をついたら拳で1万回殴るに値するほど許せないという意。さらに高じて、針千本が付け加えられたという説もある。
子供の頃の約束は、今風に言えば“努力目標”。やろうとしたけどできなかっただけのこと。やぶったところでどうってことない。
指切りに本当に意味を持つのは、大人の男女間だけで、もっと言えば見え透いたうそをついている男に女が迫るものだ。明らかに泳いでいる男の目をひたと見つめて、小指をからませながら、「嘘ついたら、針千本の~ます」。
わかっているのよね。貸した金は戻ってこないし、別れるはずの妻とは何年たっても離婚しないのは。
私のつきあった男にも生い立ちから就職先、離婚歴までうそで固めた男がいた。本当のところ、針千本のませたくらいでは収まらないけど、うそに乗った自分がかわいくて、信じたふりをしていた。
そういう男も還暦を過ぎてみると、「弱虫」のひと言で片づくんだけどね。
※女性セブン2018年9月26日・10月3日号