京都市内の、ある民宿に泊まった。昔ながらの木造家屋である。宿主の老夫妻は階下で寝起きし、2階の3室を宿泊客向けに開放している。民芸品の収集が趣味なのか、あちこちに小さな置物が置かれている。宿主の生活の息遣いを感じられるのも、民宿ならではの魅力の1つだ。
訪日観光客の増加に伴い、最近は民泊の台頭が著しい。だが、こうした古風な民宿にも外国人観光客が現れるという。特に中国人観光客が関心を向けている。
「こちらにも中国人観光客が泊まりに来ますか?」 女将さんに尋ねてみると、浮かない表情でこう答えた。
「以前は中国からのお客さんも受け入れていたんですがねえ・・・」
この宿では、原則的に知り合いの紹介か、もしくは直接問い合わせてくる観光客を優先して予約を受けている。中国人客の受け入れは、積極的になれないという。
女将さんはその理由をこう語る。
「中国の方は大きなトランクを持ってきはるでしょう。あれが木造の家を傷めますのや。しかも、宿に置いてあるものをトランクに詰め込んで持ち帰ってしまう。かないまへんわ」
民宿は宿泊施設であると同時に宿主の居住空間でもある。民宿の備品やインテリアは当然持ち出すことはできない。しかし、そんな常識が彼らには通用しないのだそうだ。
電球も、掃除機も、トイレの便座も
京都のある老舗旅館ではこんな話を聞いた。ある中国人客が宿泊中、再三にわたり「部屋に浴衣がない」と催促してくる。従業員が不審に思いながら布団を敷きに行くと、スーツケースから旅館の浴衣が顔をのぞかせていた。「持ち帰り目当て」の催促だったのだ。
また、ある宿泊施設では、風呂場からたびたびシャンプーボトルがなくなることが問題になっていた。持ち帰り防止のためにシャンプーや化粧水の蓋を取り外しておいても効果がないという。「キャップのないシャンプーなんて持ち出す人もおらんと思うてましたが、中国の人はそれでも持ち帰りますのや」。
旅館やホテルで「中国人観光客が備品を持ち帰ってしまう」という悲鳴は後を絶たない。室内に置いてあるドライヤーや灰皿、置時計などは序の口だ。「天井の電球を持っていかれた」(岐阜県の旅館)、「掃除機まで持っていかれた」(静岡県のホテル)というケースもあれば、中国人がトイレの便座を持ち帰ってニュースになったこともある。
どういう心理で備品を持ち帰るのか?
富士山の山麓で長年にわたって中国人観光客を受け入れてきたホテルの経営者A氏に、「中国人客はどういう心理で宿の備品を持ち帰るのか」と尋ねてみた。すると、こんな回答が返ってきた。
「彼らは、浴衣やドライヤーなどの備品が宿泊料金に含まれるものだと思っているのです」
A氏によれば「本当に軽い気持ちで持ち帰っている」のだという。「盗みを働いているという意識」は微塵もないそうだ。
では、A氏のホテルではどのような対策をとっているのか。その1つが「有料」にすることだという。「冷蔵庫の飲み物と同様に、最初から備品に値段を付けておくのです。欲しければ売ってあげますよ、と」 浴衣ならば、値段をつけたサンプルをロビーに陳列しておく。
また、「備品に、値段の高い物はできるだけ使わない」ことも有効だ。置時計にせよ、灰皿にせよ、持ち帰る気持ちにさせないような安価なありふれたものにするのがコツだという。
備品を「固定してしまう」という手もある。中国の多くのホテルではドライヤーは壁に設置されており、取り外せない。これは持ち帰り対策に他ならない。
そして究極の策は「部屋の備品をすべて取り払ってしまうこと」(同)だという。必要な備品は、その都度、手渡しする。その際は、備品が無料のアメニティなのか、それとも返却が必要なレンタル品なのかをはっきり伝えるようにする。
それでも備品がなくなったらどうするのだろうか。
「『返してくれ』とは言えません。ツアーガイドにお願いして、『次回は備品を持ち帰らないように』と忠告してもらうしかないですね。そこはじっと我慢なのです」
中国人の面子を立てないと、次のツアー客を送ってもらえないからだ。
「部屋は汚して当たり前」?
備品を持ち帰ること以外にも、宿泊施設が頭を悩ませる中国人観光客の行為がある。それは部屋を汚すことだ。A氏によれば、「部屋は汚して当たり前」という発想も中国人客独特のものだという。
「日本人ならば、部屋をきれいに使おうと心がける。宿の人に『この程度の客』と思われたくないからです。しかし、中国人客の中にはそう思わない人もいる。部屋を汚すのも『値段のうち』だと思っている人がいるのです」
日本を訪れる中国人観光客は増加の一途をたどっている。「備品がなくなる」問題はこの先も当分続くだろう。
一部の中国人客の“軽い気持ち”が全体のイメージを損ねるのは残念だ。大国の国民としての振る舞いを期待すると同時に 日本と中国の旅行会社にはぜひとも旅行客への啓蒙活動をお願いしたいところだ。