だから日本経済の生産性は「めっちゃ低い」
ITmedia ビジネスONLiNE
アイティメディア株式会社
3 時間前
28.12.13.
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先日、M−1グランプリを見ていたら審査員のオール巨人さんがこんなことをおっしゃっていた。
「海外のテレビや映画を見ても、日本のお笑いは世界でもトップレベル。今日は世界一の漫才を決めるといっても過言ではない」
確かに、海外のコメディアンのギャグとかを見ても、「なにがおもしろいの?」と感じるのは珍しくない。ただ、「笑い」というものはその国の文化、歴史、社会背景にも深く関わる。もしこの発言を、さまざまな国の「笑い」に関わる人々がご覧になったら、かなり異論が飛び出すのではないだろうか。
断っておくが、お笑い界のレジェンドの発言にイチャモンをつけたいわけではない。個人的には日本のお笑いは大好きだし、日本人として自国の「笑い」は他国にひけをとらないほどレベルが高いと信じたい。
ただ、海外から「日本のお笑いは世界一」という客観的な評価を受けたわけでもなく、ましてや世界各国にどれだけ日本の笑いが浸透しているのかというような指標があるわけでもないにもかかわらず、その産業を長く牽引されてきたような方の口からいともたやすく「世界一」という言葉がでてしまう現象が、ある人物が指摘している「日本病」の特徴とあまりにもピタッとハマり過ぎていて非常に興味深いということを申し上げたいのだ。
その人物とは、このコラムで何度か紹介してきた小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏である。
●日本経済の成長を阻害している「日本病」
新著『新・所得倍増論』(東洋経済新報社)で、アトキンソン氏は30年におよぶアナリスト人生の集大成として、豊富なデータをもとに日本経済が長く停滞している原因を分析し、「GDP1.5倍」「平均年収2倍」を実現できる道を示している。
そこで注目すべきは、日本経済の成長を阻害している、「日本病」について考察をされている点だ。
それは一言で言ってしまうと、客観的な事実に目を向けることなく、自分たちに都合のいい「願望」のような評価に引きずられてしまうという「病」である。
例えば、近ごろよく「生産性」の話になるのでご存じの方も多いが、日本の1人当たりGDPは世界で27位と、先進国の中で最も低い生産性となっている。しかも、アトキンソン氏によると、労働者ベースでみるとスペインやイタリアよりも低く、米国50州で最も生産性の低いミシシッピ州にわずかに勝る程度だという。
だが、このように客観的なデータを提示されても日本人の多くはこの現実を受け入れようとしない。受け入れないどころか、「そもそも日本人はチームプレーが得意なので1人当たりのGDPなど意味がない」とか「日本人には生産性などという指標でははかれない力がある」という科学的根拠のない反論をしてくることの方が圧倒的に多い。
なぜか。アトキンソン氏は我々日本人の頭の中に刷り込まれている「世界第2位の経済大国」が深く関係しているのではないかと考察している。
『世界ランキングが高いということは、日本人の潜在能力がいかんなく発揮されていると思い込んでいる方が多いのではないでしょうか。1人あたりのデータを見ずに、世界ランキングが高いということだけを見て、日本の実績は諸外国より上だと信じ込んでいる人が多いのではないでしょうか。これは、恐ろしい勘違いです。1億人の人口大国・日本の世界ランキングが高いのは当たり前のことです』(P64 第1章 日本はほとんど潜在能力を発揮できていない)
要するに、日本の生産性がここまで低いのは、「焼け野原から世界第2位の経済大国まで成長した日本をその辺の国と一緒にするんじゃないよ」という「勘違い」が社会全体にまん延しているからだというのだ。
これは非常にハラオチした。
日本人は「全体」と「個」の話をゴチャマゼにしてしまうことが多い。例えば、日本代表選手が金メダルをとると、実況は「見たか、日本の底力」みたいなことを平気で言う。その選手個人が成し遂げた偉業であるにもかかわらず、なぜか日本人全員がスゴいみたいな「勘違い」をするのだ。最近よくテレビ番組で見かける「日本の××は世界一」というのにも同じ問題が散見される。
●支離滅裂な論理展開が当たり前に
「世界第2位の経済大国」というのはGDPという「経済の大きさ」の指標である。GDPは人口×生産性なので、中国経済が台頭してくる以前、先進国の中で米国の次に人口の多い日本が、2位というポジションについたのは当然といえば当然の結果である。しかし、「日本のGDPが世界第2位にまでなったのはなぜ?」という問いかけをされても、「人口が爆発的に増えたからでしょ」と答える人は少ない。「世界一の技術力があったから」とか「日本人は世界一の勤勉だから」とか答える方が圧倒的に多いのではないだろうか。
確かに、日本には技術力の高い企業がある。しかし、そうではない企業もそれ以上に多く存在している。日本人労働者は真面目だというが、怠け者だって少なくない。そういう「個」の事情が、「全体」に対する評価に引きずられる形ですべて帳消しにされる。つまり、ひと握りの日本人・日本企業が優れているという話が、「世界第2位の経済大国」というフィルターを通すと、いつの間にやら「日本全体が優れている」という話にすり替わってしまっているのだ。
では、いったいなぜ日本ではこういう支離滅裂な論理展開が当たり前になってしまったのか。
アトキンソン氏は、戦前の「戦争学」の影響ではないかと考えている。
『経済の大きさ、GDPランキングを重視するのは、完全に軍事や国防の視点です。(中略)近代の日本もそうでした。とにかく欧米の軍事力に追いつき、それを追い抜かすことが最大の目的でした。このような戦争学における「追いつき追い越せ」という思考が、戦後もそのまま「経済」という血の流れない戦争に適応され、現在にいたるまで思想の主流となっている可能性は否めません』(P79、第2章「追いつき追い越せ幻想」にとらわれてしまった日本経済)
これはまったく同感である。
電通の女性社員が自殺した事件を受けて、この連載でもパワハラ・加重労働というものが、実は日本の大企業の多くが、戦前のシステムや思想をそのまま引き継いでいることに端を発している問題だと指摘をしたが、実は経済だけではなく、日本社会全体が「戦後レジーム」どころではなく、「戦時レジーム」から脱却できていないのだ。
そのようなことを書くと、「そうだ! だから安保法制で自由に戦争ができる国にしたんだ!」といきり立つ方もおられるが、残念ながら今回はそういう軍靴の音が聞こえる的なお話ではない。
日本が戦争に敗れて、マッカーサー率いるGHQがやって来たのを境にガラッと日本社会が変わったと思っている人も多いかもしれないが、実はそうではない。
『戦時体制は、実は半分しか解体されなかった。軍隊は即、武装解除されたが、行政機構は一部の組織改変、幹部の公職追放はあったものの、ほぼ戦前のまま残った。(中略)官僚機構は戦前の「富国強兵」から「強兵」を外して「富国」の経済戦争に国民を動員し続けたといえる』(毎日新聞 1997年4月26日)
●戦時中に発明された「下に責任とリスクを押し付けるシステム」
これは役所だけの話ではなく、政治も経済も同様だ。吉田茂や鳩山一郎など戦中の指導者層がそのまま戦後もリーダーになれたように、基本的な「プレイヤー」はほぼ変わっていない。メンツが変わらないのだから、システムや思想が変わっていくわけがない。
なぜIT全盛のこの時代に、人間が朝から晩まで馬車馬のように働からされ、組織に絶対服従の姿勢を見せなくてはいけないのかというと、日本企業文化に骨の髄まで「戦争」が染み付いているからだ。「戦争」と同様に「経済の大きさ」がなにをおいても優先されるので、「1人あたり」の働き方や生産性は軽んじられる。むしろ、それらの犠牲の上に「経済の大きさ」が成り立つという思考に、企業や業界全体に毒されてしまっているのだ。
アトキンソン氏は『新・所得倍増論』の中で、日本が成長を取り戻すには、政府が経営者に「時価総額向上」のためにあらゆるプレッシャーをかけていくべきだと提言しているが、これも戦時体制を引きずっている日本社会にとっては、非常に有効な手段だと思う。
電通の女性社員自殺問題、ユニクロの「ブラック職場」問題、そして近年多い不正会計など日本企業の不祥事をご覧になっていただくと、ある共通点が浮かび上がる。
それは、いわゆる「日本型資本主義」というものが、「下」に責任とリスクを押し付け、「上」が延命をはかっていくシステムになっていることだ。
例えば、マンションの杭打ち問題など分かりやすい。杭打ち不正は「下」である旭化成子会社が責任をとらされ、「上」である発注元の三井不動産はまるで被害者のような顔をしていた。下請け業者の人たちはクビになったりしたが、三井不動産の経営者が責任をとって辞めました、なんて話は一切聞かない。
なぜこういうことになってしまうのかというと、実はこれも戦時体制の影響だ。
●「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別できる
ご存じのように、先の大戦ではすさまじい数の日本兵が亡くなっており、その数は100万人をゆうに超える。しかし、その無謀とも言える作戦を立案し、指揮していた指導者層は、一定期間の公職追放や、「戦犯」のそしりを受けた以外、先ほども述べたように戦後の日本社会でしれっと新しい人生を謳歌している。
こういう戦時中の指導者層がつくりだした「日本型資本主義」はバブル崩壊を経て、「失われた20年」で完全に敗北をした。しかし、1億人以上という人口と、過去の遺産でなんとなくまだそれが露呈しない状態が続いているだけなのだ。
日本が先進国の中で唯一、経済成長をしていないのがその証左である。
アトキンソン氏の提言どおり、「上」にプレッシャーをかけて、時価総額向上を達成できない経営者をどんどんクビを跳ねていけば、日本型資本主義という病におかされた経営者がどんどん駆逐される。社員や下請けという「下」に責任を押し付けて延命をはかるようなブラック経営者も当然あぶりだされていく。つまり、戦時中の「下に責任とリスクを押し付けるシステム」と決別することになるので、「1人当たり」の生産性もあがっていくのだ。
日本の生産性が先進国で最下位ということを前向きに考えれば、日本は先進国というポジションでありながらまだまだ成長ができる余地があるということだ。
マスコミには「日本はスゴい」「日本は世界一」という自画自賛的な論調が溢れているが、実は最も必要なのは、「日本はまだ先進国になりきれていない」という「謙虚さ」を説くことではないのか。
(窪田順生)