零戦破片:「特攻の証人」鹿児島へ米国から寄贈
毎日新聞
13 時間前
28.10.12.
零戦の右主翼の一部とみられる破片(中央)。木箱は戦艦ミズーリ甲板のチーク材で作られている=鹿児島県鹿屋市の海自鹿屋航空基地史料館で2016年10月11日、新開良一撮影© 毎日新聞
太平洋戦争末期の1945年4月、鹿児島県・喜界島沖で米戦艦ミズーリに体当たりした零戦の機体の破片が11日、出撃した特攻基地跡の海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(同県鹿屋市)に寄贈された。戦艦ミズーリ記念館(米ハワイ)のマイク・ワイデンバック学芸員(66)が史料館を訪れ、「零戦の操縦士の魂をこういう形で祖国に戻すことができてよかった」と語った。
破片はジュラルミン製の右主翼先端の一部とみられ、15センチ四方で約35グラム。原形をとどめず黒くすすけている。記念館によると、当時のミズーリ乗組員が戦利品として持ち帰り自宅で保管していたが、本人が亡くなったため家族が2012年に記念館に寄託した。
記念館の調査で、零戦の操縦士は岡山県出身の石野節雄2等飛行兵曹(当時19歳)の可能性が高いと判明した。突入後の遺体は「死んだら敵も味方もない」と艦長の判断で水葬にされたという。
破片は12日から展示され、史料館の池田克彦館長(42)は「日米友好と平和の大切さを後世に語り継ぐシンボル的存在になれば」と話した。【新開良一】