米国で脂のノリが大人気!日本で養殖する“あの魚”とは?
ダイヤモンド・オンライン
池田陽子
3 時間前
28.05.27.
日本の養殖ブリが、海外へ羽ばたいている。
農林水産省が、財務省公表の貿易統計から取りまとめた「2015年農林水産物・食品の輸出実績」によると、水産物の輸出額は2014年から18.0%増の2757億円へと拡大。
その中でブリは、対前年比38%増の138億円で、水産物全体では4位、農林水産物においても10位と主要輸出品並みの存在である。
ブリ養殖日本一を誇るのは鹿児島県だ。2万466トン(平成26年漁業・養殖業生産統計)と11年連続日本一を誇り、県内の海面養殖魚生産量の約5割を占める。鹿児島県商工労働水産部水産振興課 技術主幹兼栽培養殖係長の外城和幸さんは、「昭和33年に試験養殖が始まり、温暖な気候、養殖に適した内湾が多くブリの稚魚であるモジャコが近海で獲れることから県内各地で盛んになりました」とそのきっかけを語る。
しかし近年、国内におけるブリ養殖を取り巻く状況は厳しい。消費と魚価低迷が続いているうえに、エサとなる魚粉の価格が高騰し、苦しい経営状況が続いているからだ。
「需要と供給のバランスが崩れた状態です。よって、余剰分を海外へ輸出する機運が高まっています」(外城さん)
実は鹿児島におけるブリ輸出の歴史は古い。そして、その先鞭をきったのは、鹿児島県長島町・東町漁業協同組合だ。「鰤王」ブランドで展開し、輸出のスタートは昭和57年。養殖魚としては日本初である。
さらに東町漁協は、現在も輸出にかけてはすさまじい勢いを見せている。なんと、海外ブリ輸出年間出荷量は19.5万尾、約16.5億円。実績は29ヵ国と、ここまで輸出を展開している漁協も珍しい。なんともグローバルな漁協なのだ。
20~30代の漁師が多い若手が活躍する東町漁港
鹿児島県西北部に位置する長島町。長島本島をはじめとする離島で構成された町だ。
JR鹿児島本線・出水駅からバスに乗り、黒之瀬戸大橋を渡ると長島本島。入り組んだ海岸線のむこうに青い海原がひろがる風景を眺めること約40分。長島町役場に到着した。
「観光の目玉は『風景』です」と長島町生まれ、長島町育ちの長島町水産商工課主幹兼商工観光課係長の牧祐治さん。雲仙天草国立公園をのぞむ針尾公園からは、「薩摩松島」ともいわれる入り江に点在する緑の島々と青い海の素晴らしい景観を堪能できる。
基幹産業は水産業とじゃがいも、かんきつ類を主とする農業だ。
昭和40年代からはじまったブリ養殖で、長島町は大きな利益を得てきた。
「ブリは長島町の希望の星です」と牧さん。
長島町でも、日本各地同様、高齢化と人口減少に悩まされている。しかし、水産業においては話が明るいのだ。
「新規就業者が去年は9名。後継者が毎年ずっといますし」と、水産商工課課長の久保良昭さんも語る。
いま日本全国の漁業の現場では高齢化、後継者不足が深刻になっているなかで、東町漁協の若手率は目を見張るものがある。
正組合員376名のなかで、40歳までの「青壮年部」に所属する若手は124名。20~30代が多く、平均年齢は約47歳。
いまや日本各地の漁協では平均年齢が50代後半も当たり前というなか、よもや奇跡としかいいようがない年齢構成だ。
若すぎる漁協・東町漁協を支えるのは、もちろんのことブリである。
日本一の養殖ブリ漁協へと導いた奇跡のシステム
東町漁協では、昭和43年よりブリ養殖漁業を開始したが、「まき網で魚が獲れなくなった」というようなマイナス要因がきっかけではない。
それまで、管区内で主に行われていたのは、まき網による漁船漁業。集落ごとに、イワシなどの水揚げで栄えていた。
「今でこそ橋がかかりましたが、ここは『長島』という『島』。県内の出水市や、阿久根市に魚を船で運んで販売していました。獲れたブリやタコを生簀に入れて、巻き網でかかった小魚をエサにして、少しでも大きくしてから出そうという『中間蓄養』といった発想からスタートしたようです」
こう語るのは、東町漁業協同組合 第二事業部部長の中薗康彦さん。
「養殖の原点を最初にやっていたんでしょうね」
養殖をはじめたのは、まき網漁の親方たち。十数軒の漁家から始まった養殖は、生産者の成功につれて増えていった。広がり方は親戚、家族を通じてというかたち。今でも、ブリ養殖を手掛ける生産者のほとんどは「家族経営」だ。
「おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、息子夫婦と三世代で4、5人という感じがほとんどですね」(中薗さん)
しかし、家族経営という小規模ながら、東町漁協はブリにかけては恐るべき金字塔を打ち立てている。
「単独漁協日本一」
年間220万匹、1万2000トンを養殖、出荷。その量は全国の養殖ブリの1割を占めるという、一大ブリ産地なのだ。
「水温は年間平均19度。東は八代海、西は東シナ海に面し、島内には入り江が多いため、潮の流出入がきわめてよく、潮流も最大毎秒3.5メートルと流れも速い。ブリの養殖に適した環境です」(中薗さん)
しかし、恵まれた環境だけで、ここまで成長するわけはない。
「環境のよさをいかした養殖をしてきたというのは事実ですが」と中薗さんが続ける。
「われわれ漁協の先輩方による販路拡大、そして、その流れのなかで生産者のみなさんが協力してくれた、ということが大きいと思います。同じ考え方で、一致団結してみんなで一緒にやっていこう、という考え方をずっと続けていることでしょうね」(中薗さん)
その精神が東町漁協ならではのシステムを生んだ。
「一元集荷、全量共販出荷」
ほかの漁協ではめったに見られない体制だ。
「うちも、そうでした」と中薗さん。そしてこう続ける。
「最初はそれぞれの生産者が、漁協に手数料だけ納めてバラバラに売っていました。けれど、それよりもみんなで一緒にやったほうが、もっと利益を上げられるよねという機運があったようです」
とはいえ、他ではなかなかできないことが、なぜ、できたのか。
「やはり、ここが『島だから』ということがあります。当初、出荷していたのは九州だけでした。生産量が増えても、売り先がなければ意味がない。築地に持って行こう、全国にも運ぼう、となると、みんなでまとまらなければ実現できなかったんです」(中薗さん)
漁協と生産者の一致団結のもと、昭和49年、黒ノ瀬戸大橋開通をきっかけに、本格的にブリ産地としての歩みをスタート。同年、水産物市場を開設し、昭和56年には冷凍冷蔵施設を設置。「マルヒガシ」のブランドで全国への出荷を飛躍的に伸ばし、平成3年には水揚高100億円を達成した。
さらに東町漁協のブリは、国内だけにとどまらなかった。昭和57年、海外輸出も開始。輸出先は北米。当時、すしブームがはじまり、脂のノリがいいネタとして「ブリ」がアメリカ人にウケたのだ。
「日本国内で流通するブリは5キロくらい。アメリカでは10キロサイズの、さらに脂がのったブリが、とても好まれたんです」(中薗さん)
ブリは日本近海でしか養殖ができない。そしてじつは、いまも日本におけるブリ輸出の84%は北米だ。東町漁協における海外輸出先の約6割のシェアを占めるのも、北米である。いち早く、海外に上顧客をつかむというチャンスを得たのだ。
輸出を機に、さらに東町漁協の組織とシステムも無敵の体制を育み始めた。
だから北米、EU、中国に輸出できる安心安全を支える一貫生産
生産者ごとに単独で養殖を行うと品質にムラが生じる。
「世界に打って出るためには、生産者全員が一定して、高品質・安全なブリを出荷しなくてはならないと考えました」と中薗さん。
東町漁協が稚魚の手配、餌の調達、養殖のすべての段階において主導となって管理し、年間を通して「高品質のブリを均質に養殖、出荷する」体制を整えた。他に例をみない先進的な、品質管理システムだ。
北米輸出には食品衛生管理システム・HACCP認証が必要になった。そのためにもトレーサビリティは完璧でなくてはならなかった。
そのために策定したのが「ブリ養殖管理基準書」だ。種苗、いけす、餌、病気、投薬、環境、出荷にいたるまでを細かく定め、生産者全員に徹底するよう指導。独自でトレーサビリティステムを開発した。
この規格にそったブリを、平成17年に商標登録した「鰤王」ブランドの名で出荷する。
よって、出荷までのすべての段階で漁協の管理は徹底している。
「毎年、組合員が4月に稚魚となるモジャコを種子島、屋久島沖まで獲りに行きます。これは全部漁協が引き取り、いけすで一括集荷し、雑魚選別をしてから生産者に配布します。餌も漁協から配布します」(中薗さん)
その餌も品質の統一化のために、高知大学との共同研究により開発したオリジナル飼料「鰤王EP」「鰤王マッシュ」を開発。生産者全員がこの餌を使う。
ブリの健康状態も漁協で管理する。全国に先駆けて、営漁指導部門を独立した課にした。
「魚類防疫師、薬剤師の職員がいますので、ブリに異常があった場合は、こちらからワクチンや薬を出します」(中薗さん)
さらに、漁協内には「品質管理室」を設置、生産記録管理のためのシステムを導入した。「ブリ養殖管理基準書」にそって、生産者には飼育情報をすべて日誌に記録するように指導している。
生産者には一人1冊、日誌が用意されている。1ヵ月分の日誌を提出のうえ、漁協で入力し一括管理。5年分のデータをストックしてトレーサビリティーシステムに反映する。漁場環境、餌、商品情報、検査データなどはいつでも開示可能だ。
「これがあってこそ、安心安全をみなさんに伝えられます」と中薗さん。
そして育った魚を漁協が引き取り、加工し、出荷する。
かくして東町漁協と生産者の地道な努力の結果、平成10年に、養殖魚において国内初の対米輸出HACCP認証取得。さらには15年に、対EU輸出水産食品施設認定取得。こちらも養殖魚として日本初だ。
認証を受けた加工場からは1本まるごとの「ラウンド」、内臓や頭を取った「セミドレス」、三枚おろしの「フィレ」などを真空包装して輸出した。
そのあとは対中国輸出水産食品施設登録。上海へ、そして続いて東南アジアへ輸出。さらに対ロシア輸出水産食品施設登録と次々と取得し、輸出をスタートした。現在、ロシアに輸出できるのは、東町漁協だけだという。
「敵は大手企業」小さな漁協が世界で戦う覚悟
ここまでできるのは、メーカーであるかのごとく、製品管理が「世界基準で」徹底しているからこそ、である。漁協がパーフェクトな指令塔として機能しているのだ。
「これぐらいじゃないとダメなんです。いま魚粉が値上がりして生産原価が上がるなか、国内市場は頭打ち。輸出はもっと伸ばしていかなければなりません」(中薗さん)
販売価格の面でも、「輸出には希望がある」と中薗さんは語る。
「海外のスタンダードは『売り手市場』。生産コストに見合った価格をつけてもらえる。そのためには徹底したトレーサビリティが必要です。海外において、魚は日本のように『天然主義』ではないんですよ」
さらに続ける。
「養殖って、みなさんがどう考えるかわからないけど、普段あなたは何を食べていますか? と聞きたいです。たとえばお肉。牛も豚も鶏も養殖ですよね。天然の、いのししを食べますか? コメは? 野菜は? これも養殖ですよね。そのへんに生えている草を食べますか? 日本人が食べているもののたぶん、90%は養殖ですよ」
何を食べて、どう育ったか徹底的にデータも残された魚。
海外では安心安全という評価が何より大切だ。
そのためには、「組織としてしっかりした体制を整えないといけないんです。組織が管理しないと」と中薗さん。
「そのうえで、品質が安定すれば、お客さんに納得してもらえる。商談も決まる。そうすれば、生産者全員に利益は還元されるんです。大企業だったら、ブリがダメでもほかの魚を売ったり、株で儲けて補いましょうということもできるだろうけれど、わたしたちはそうはいかない」
中薗さんはきっぱり語る。
「うちらの敵は大手企業です。民間企業に負けないために、やっているんです。こんな小さな島の漁協が対等に事業展開をしていくにはそれしかありません」
漁協内には「経営管理室」もある。生産者の経営について財務分析評価や、事業オペレーション、経営評価をまとめたセグメント評価管理マニュアルを作成し、指導する。
中薗さんのいうとおり、体制は島にありながら「企業」そのものだ。
その結果、東町漁協では平成19年には売上が過去最高の139億円に。輸出においても同年、過去最高の1033トンと過去最高記録。北米には金額ベースで、年間生産量のうち、約1.5割を出荷、実績は29ヵ国まで増えた。
海外市場でもおいしさと安全性から高い評価を得て、世界のバイヤーから商談が来る。ブリの加工尾数は平成20年には100万尾を達成した。
ブリ日本一、ブリ世界一のスーパー漁協として数々の目標を達成してきた東町漁協。しかし、未曾有の危機が訪れた。
※この続きはダイヤモンド・オンラインで6月10日(金)に公開予定です。
★取材ご協力東町漁協長島町