2.金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789安倍晋三政権は、わが国のこれまでの財政・金融政策運営を、いわば「レジーム転換」させた。連載「検証!アベノミクス」河村担当のパートでは、「アベノミクス」のなかの財政・金融政策運営の部分に焦点を絞り、①こうした「レジーム転換」をどのようにみればよいのか、また、②それに伴い、先行きにどのようなリスクがもたらされるのか、を中心に考えたい。今回は、「黒田新総裁の金融政策運営をどうみるか」を考える。
かわむら・さゆり
1988年京都大学法学部卒。日本銀行勤務を経て、現職。専門は金融、財政、公共政策。これまでの執筆論文・レポート等はリンク先参照。公職は財務省国税審議会委員、厚生労働省社会保障審議会委員、総務省政策評価・独立行政法人評価委員会委員ほか。 4月4日、黒田新総裁のもと、日銀が打ち出した「量的・質的金融緩和」の規模は、市場の予想を遥かに上回るものであった。日銀もすでに長年にわたり、政策金利を限りなくゼロ%に近い水準にまで引き下げ、伝統的な「政策金利の上げ下げ」以外の、いわゆる「非伝統的手段」によって、様々な資産を市場から買い入れ、多額のマネーを市中に供給する、という政策運営を行ってきた。
今回の「黒田緩和」は、こうした「非伝統的手段」による資金供給を、日銀新体制の発足とともに、空前の規模に急拡大させ、企業や家計のインフレ期待を高めてデフレ脱却を図ろうとするものである。
こうした政策運営をよりよく理解するために、①わが国のみならず、他の主要先進国を含めて、過去30年の間、経済や物価情勢がどのように推移してきたのか、②それに応じる形で、日銀をはじめとする各国の中央銀行はどのような政策運営を行ってきたのか、③近年の各中銀による「非伝統的手段」による政策運営の効果は、国内外でどのように考えられているのか、といった点について、順を追ってみていこう。
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金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789主要国経済は過去30年間
どのように推移してきたのか
まず、わが国および欧米主要国の景気や物価情勢が、これまでどのように推移してきたのかを、やや長期的な視野で確認してみよう。
今からさかのぼること約30年前の1980年代前半は、主要先進国といえども、二桁のインフレ率に悩まされている国が少なくなかった。81年の消費者物価の前年比上昇率は、わが国で4.9%、旧西ドイツでも6.3%であったほか、アメリカでは10.4%、イギリス12.2%、イタリアに至っては19.5%に達していた。
その後は85年の「プラザ合意」による為替レート調整や、90年前後のわが国をはじめとするバブル崩壊を経て、各国の経済成長率やインフレ率の振幅は徐々に収斂した。そして、2008年9月のリーマン・ショックを契機とする世界経済・金融危機を受けて、09年には各国とも経済成長率が大きく落ち込み、多くの国でデフレ・リスクが懸念される事態となった。
なお、90年代末以降今日に至るまでの間の各国の物価情勢をみると、リーマン・ショック直後の09年こそ、各国とも消費者物価の前年比上昇率は大きく低下したものの、日米を除き、軒並み前年比小幅のプラスを維持した。アメリカも、消費者物価前年比が小幅のマイナスになったのは09年のみで、その後は前年比プラスを回復している。
このように、わが国を除く各国とも、09年を除けば、一般的な物価情勢は、総じて低位で安定的に推移している。そうしたなか、唯一わが国のみが99年以降足許に至るまでの間の大半の年について、消費者物価上昇率の前年比マイナス状態が継続している。要するに、主要国のなかでわが国においてのみ、「デフレ状態」が長期にわたり継続しているのである。
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金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789日銀のこれまでの金融政策運営
ゼロ金利政策から量的緩和、そして包括緩和へ
この間の日銀の金融政策運営を、やや詳しく振り返ってみよう(図表1)。1980年代末のバブル崩壊後、日銀は政策金利である無担コールO/N(オーバーナイト)レートを、91年初をピークとして段階的に引き下げた。しかしながら、90年代後半には国内の金融危機が深刻化の一途をたどり、つれて実体経済も大きく落ち込むに至ったことから、無担コールO/Nレートを内外に例のないゼロ%に引き下げる「ゼロ金利政策」を99年2月に実施した。
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これは、2000年夏にいったん解除され、同レートを小幅のプラスに引き上げる方向で誘導する金融政策運営が行われたものの、その後、景気の再度の落ち込みを受け、01年3月からは同レートを再びゼロ%に引き下げたうえ、日銀によるベース・マネーの供給量(政策上の誘導目標は、その一部をなす「日銀当座預金額」)を順次拡大していく「量的緩和政策」が実施され、その後06年3月までの約5年間にわたり継続された。
2000年代半ば以降のわが国経済は、小泉政権による構造改革の奏効などもあって、緩やかながらようやく回復の兆しがみえ始めてきていたが、08年9月にはリーマン・ショックによる世界経済・金融危機に見舞われた。
欧米主要国では、システミック・リスクが差し迫り、これに対処するため、欧米主要国の中央銀行も、政策金利の引き下げにとどまらず、軒並み「危機対応としての流動性供給」を当初の目的として、非伝統的手段による金融緩和の実施に踏み切った。日銀が国内の金融危機に際して同様の緩和を導入してから遅れること約10年、欧米各国の主要中央銀行も、同様の金融政策運営を迫られることとなったわけである。
わが国の場合、リーマン・ショックによる金融システムへの影響は、欧米主要国に比較すれば軽微ながら、実体経済の落ち込みの度合いは主要国のなかでもっとも厳しかった。その後、日銀は、国内のデフレ状態の長期化や、主要諸外国で「非伝統的手段」による金融緩和が進められていることに呼応する形で、10年10月、非伝統的手段による政策運営を一段と強化する「包括緩和」政策の実施に踏み切った。
次のページ>> 中央銀行の政策運営の世界的な潮流
金融政策の効果と課題
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――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789 そして、安倍政権誕生後の13年1月、白川前総裁のもとで「2%の物価目標」を導入した後、黒田新総裁就任後の4月、「質的・量的金融緩和」を発表し、空前の規模での資金供給を開始したのである。
中央銀行の政策運営の
世界的な潮流
各中央銀行は、各国・地域経済のこうした推移をにらみつつ、それぞれ独自に政策運営を行ってきたわけであるが、そこには一定程度、それぞれに共通した動き、いわば「潮流」が存在する。日銀もその例外ではない。こうしたトレンドの変化を振り返ってみよう。
①1990年代
80年代に、各国がまだ高インフレ率に悩まされていた反省から、90年代には、中央銀行の独立性を強化する動きが拡がった。わが国では97年に日銀法が改正され、98年に施行された。欧州でも、ユーロを導入する国は中央銀行の独立性を確保することを義務付けられ、かつては政府(財務省)が金融政策の決定権限を握っていたフランス等の国々も、ドイツ型の制度をとり入れた。イギリスはユーロには参加しない道を選んだが、99年に金融政策運営の決定権を、財務省から中央銀行であるイングランド銀行に移管した(注1)。
独立性が強化された中央銀行は、次のステップとして、金融政策運営の説明責任を国民に対して果たすことが求められるようになった。そこで、多くの国々に採用されたのが、「インフレ・ターゲティング(物価上昇率目標)」である。これは、各国の一般国民にとってもわかりやすく、有効なツールとして評価され、実際にその採用後に高いインフレ率が望ましい水準にまで抑制される、という実績の面でも効果がみられた。
②2000年代前半
主要国の中央銀行は、概ね「一般物価(消費者物価)の安定」を達成した。これは、90年代において、各国中央銀行の独立性が強化され、多くの国々で「インフレ・ターゲティング」が導入されたことが大きかったほか、新興国経済がグローバル経済に参入してきた要因も作用した。
(注1)なお、イギリスの場合、金融政策の決定権限を政府(財務省)が有していた92年から、すでに「インフレ・ターゲティング」が導入されていた。99年に金融政策の決定権限がイングランド銀行に移管された際にも、インフレ目標の決定権限は財務大臣にそのまま残される形となった。
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金融政策の効果と課題
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――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789③2000年代後半
もっとも、2000年代には、一般物価の安定が達成された一方で、それ以外の側面では不都合が生じていた。具体的には金融資産市場における経済的な不均衡の発生である。これらはすなわち、経済の実力や実態とはかけ離れた水準で、資産価格が形成されていたものであり、いわゆる「バブル」に相当する。
そして、これらの不均衡は、2000年代後半以降、次々と崩壊し、各国の経済や国際金融市場に、大きな悪影響を及ぼすこととなった。07年夏のアメリカのサブ・プライム危機然り(「アメリカの住宅価格」の不均衡)、08年9月のリーマン・ショック然り(「証券化商品価格」の不均衡)、09年秋以降の欧州ソブリン危機然り(「ユーロ圏の一部の国々の国債価格」や、「アイルランド・スペイン等における不動産価格」の不均衡)、である。
このように、危機が立て続けに発生したことを受け、欧米の中央銀行は、その収束に向けて、政策金利の誘導以外の非伝統的な手段による金融政策運営(「信用緩和」、「量的緩和」等)の導入を余儀なくされることとなった。当初、その目的は「危機対応のための流動性供給」であったが、その後、政策目的の説明については、後述するように、各中銀で徐々に変質している。
なお、この期間中、わが国においては、「長期化するデフレをいかに克服するか」が常に課題となっていた。
危機後の欧米主要中銀の金融緩和は
日銀とどう違うのか
金融危機(日本:90年代末の国内の金融危機、欧米:2008年のリーマン・ショック)以降、主要国の中央銀行は、金利操作の下限(名目金利で1%以下)に直面した(図表2)。
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次のページ>> 欧米の中央銀行と日銀の金融緩和の違い
金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789 そこで、危機収束に向けた対応の必要性も加わり、各国中銀は軒並み「非伝統的な手段」による多額の資金供給に踏み切ることとなった。これは、各中銀の資産規模の推移からも確認できる(図表3)。日銀は、国内の金融危機が深刻化した90年代末以降、相対的な資産規模を大きく拡大させ、05年末には、名目GDP比が約30%に達した。欧米主要国の中央銀行も、08年のリーマン・ショック以降、日銀の後を追う形で、それぞれ資産規模を拡大した。
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ただし、実際のオペレーション、および政策運営に関する説明をするうえでの力点の置き方は、各中銀によって様々である。Fed(米中央準備制度)やECB(欧州中央銀行)は、中央銀行の資産の観点を軸に、従来の範囲を超えてリスク資産を買い入れることに主眼を置き、「信用緩和(credit easing)」という表現をしている。
これに対し、BOE(イングランド銀行)は、当初、中央銀行の負債の観点を軸に、経済における通貨供給量の増加につなげるべく、ベース・マネーの供給量を増やすことを重視し、「量的緩和(quantitative easing)」という表現を用いている。ただしBOEの説明振りは、その後微妙に変化し、「信用緩和」的な側面もあることを認めている。また日銀は、中央銀行の資産・負債の両側面に軸足を置く、という意味で、2010年10月以降の政策を「包括緩和」と称した。黒田日銀が今般、打ち出した「質的・量的金融緩和」も、規模は従前とは桁違いながら、資産・負債の両面という白川前総裁時代と同様の考え方に基づいているものとみられる。
なお、各中央銀行がこれまで「非伝統的な金融政策運営」によって買い入れた資産は、図表4の通りである。
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次のページ>> 非伝統的金融政策の効果と副作用
金融政策の効果と課題
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――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789 各中銀とも、自国の国債を買い入れている点は共通しているが、それ以外の資産としては、MBS(注2)(Fed)、CP・社債(BOE、日銀)、カバード・ボンド(注3)(ECB)、ETFs・J-REITs(日銀)など多岐にわたる。規模の側面からみると、ドル建て換算の金額ベースではFedが約3.1兆ドルと最大であるが、名目GDP比でみると、日銀が約37%相当と、白川前総裁時代の時点において、すでに主要国のなかで最大となっている。ただし、各中銀の金融緩和の度合いは、単にその資産規模の大小のみから計れるものではない、という見方があることにも注意する必要がある。
非伝統的手段による金融政策の効果
その副作用はどう考えられているか
このような非伝統的手段による金融政策運営は、わが国では90年代末から採用され、すでに10年以上の時間が経過しているが、欧米主要国ではまだ数年程度の経験に過ぎない。こうした政策運営にどのような効果が確認できるのか、また期待できるのか、その副作用としてはどのような点があり得るか、等について国内外では現状どのように考えられているのかを整理してみよう。
①効果
まず、効果の側面であるが、金融危機を収束させるうえで有効である、ということは、わが国における90年代末以降の経験、欧米主要国におけるリーマン・ショック以降の経験、の両方を踏まえ確認されており、国内外で見解は一致している。国際金融市場にシステミック・リスクが差し迫る場合、中央銀行が非伝統的手段によって資産を買い入れ、その対価として市場に流動性を供給することは、各国銀行システムの危機を収束させるうえで実際に有効に機能した。
しかしながら、リーマン・ショック以降、当初は危機対応として、非伝統的手段による金融政策運営に踏み切った欧米各国の中央銀行も、その後、時間の経過につれ、その目的は様々に変化しているのが実情である。「インフレ目標の達成」、「実体経済の刺激」、「欧州ソブリン危機の封じ込め」等である。
(注2)モーゲージ(不動産ローン)担保証券。
(注3)欧州で長い歴史を有する、①不動産ローン、もしくは②地方公共団体向けローン担保付き証券。
次のページ>> リフレ的効果は確認できるか
金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789 では、非伝統的手段による政策運営が、実体経済にもたらすリフレ的な効果は確認できるのだろうか。この点について、わが国ではすでに10年以上の時間が経過しているが、実証分析を踏まえた研究等では、これまでのところ否定的な結論が多い模様である。実証分析を待つまでもなく、90年代末以降にわが国経済が実際にたどってきた軌跡からすれば、国民の実感としても、リフレ的な効果は感じられていないというのが事実であろう。
ただし、この点に関しては、「非伝統的手段による金融政策運営に、そもそも実体経済へのリフレ効果は期待できない」とする考え方と、「日銀によるこれまでの非伝統的手段による金融緩和、資金供給の度合いが不十分であったために、目下のところリフレ効果が確認できていないのであり、日銀が緩和の度合いを強めれば効果も期待できる」とする考え方との両論が、存在しているように見受けられる。
欧米各国における効果においては、非伝統的手段の採用後、まださほど時間が経過していないため、実証分析を行うにはデータが揃わず時期尚早の段階にある。また、非伝統的手段の採用の初期においては、政策金利の引き下げも同時に実施されていたため(図表2)、効果があるとしても、それが政策金利引き下げとベース・マネーの供給拡大のどちらに起因するのかの判別が困難、という事情も存在する。
欧米各国では、非伝統的手段による金融政策運営を扱った論文は、まだあまり多くは発表されていない段階にあり、今後、当事者である各国中銀を含め、国際的に議論が深められていくものと推察される。ちなみに、最近発表された数少ない論文の一つである、アメリカのセントルイス連銀のエコノミストによる論文(Fawley and Neely[2013] )(注4)においては、「幅広いリサーチの結果、QE(量的緩和)の効果としては、資産価格に働きかける望ましい効果が一般的に示唆されているものの、幅広い経済への効果は確認し難い」(p81、訳は筆者)と述べられている。
②副作用
他方、非伝統的手段による政策運営のあり得る副作用としては、主に次のような3点が考えられよう。(イ)一般的な物価が、適切な範囲を超えて大幅に上昇することはないか、(ロ)資産価格が大幅に上昇し、持続不可能な「不均衡」が発生することはないか、(ハ)金融市況の変化(市場金利の上昇)により、非伝統的手段による金融政策の運営主体である中央銀行が多額の損失を被ることはないか、といった点である。
(注4)Brett W. Fawley and Christopher J. Neely. “Four Stories of Quantitative Easing”, Review, Federal Reserve Bank of St. Louis, January / February 2013, Volume 95, Number 1
次のページ>> 「出口」局面における市場金利上昇の懸念
金融政策の効果と課題
歴史的な視点に立って評価する
――日本総合研究所主任研究員 河村小百合
123456789 これに加え、わが国の場合は、別のリスクも存在する。すなわち、安倍政権誕生後の2013年入り後の金融政策運営は、「物価目標2%の達成」を目標としているが、わが国の場合、財政の基礎的条件が諸外国に比べて極端に悪いため、「出口」局面における市場金利上昇には、国の財政そのものの安定的な運営を困難にする側面がある、といえよう。
こうしたなか、黒田新総裁のもとで日銀は4月4日、これまでとは異次元の金融緩和ともいえる「量的・質的金融緩和」の導入を発表した。ここまでみてきたように、こうした政策運営に対して、現段階では、その効果に賛否両論が存在し、様々な副作用も懸念されている状況にある。そのようななかで安倍政権、黒田新日銀はこうした政策運営に踏み出した。これは、まさに「リスクを負っての政策運営のレジーム転換」であるとみることができよう。
次回以降では、こうした政策運営が、わが国経済に今後、いかなる影響を及ぼす可能性があるのか、について考えていく。