安藤昌益ゆかりの坂道に「昌益坂」と命名(2010/04/26)
ディリー東北
八戸市の「安藤昌益資料館を育てる会」(根城秀峰会長)は、江戸時代の思想家・安藤昌益にゆかりの深い場所として、同市糠塚長者山下の天聖寺山寺霊園付近の坂道を「昌益坂」と命名し、5月18日に同所で案内板の除幕式を行う。当時、昌益が何度もこの坂道の付近を行き来して思想を深めたとされることにちなんだもので、市民に昌益に親しんでもらうのが狙い。
昌益は現在の秋田県大館市生まれ。1744(延享元)年、八戸に町医者として移り住み、著書「自然真営道」を執筆しながら、当時の封建制度を批判。平等社会の実現や自然との共生を説いた。
安藤昌益資料館の三浦忠司館長によると、命名される坂道は同市糠塚古常泉下の交差点から天聖寺山寺霊園付近までの約100メートルの区間。
山寺跡(現在の天聖寺山寺霊園)の旧境内にあり、昌益はこの場で飢饉(ききん)で亡くなった人たちの供養塔に手を合わせ、自然の大切さや貧富の解消などの思想を深めたとされる。
育てる会では、こうした昌益の思いを次世代に受け継ぐとともに、新たな観光資源にもしたい考えだ。
三浦館長は「名前を付けることで市民により昌益を身近に感じてほしい」と話している。
【写真説明】
安藤昌益にちなみ「昌益坂」と命名される坂道=八戸市糠塚長者山下