マケドニア国家の建設
前5C。マケドニアはギリシャから多数の人材を招き
建築,絵画,彫刻,モザイク,作家を招き腕をふるわせた。
当時のマケドニアは,定まった家もない。その日の暮らしに事欠いていたが
山から平地へと移り,征服した土地に都市をつくり,支配下の諸民族を強制移住させ
農地の開拓,開墾にあたらせた。
前4Cには,法律や慣習を整備し都市を整えた。
アレクサンドロスの父フィリッポス二世は,ギリシャ諸都市間の神聖戦争(聖地侵害による紛争)から
援助を求められた。それにより
ギリシャ各地には古くから,聖域を管理するための周辺の諸都市が結成した
隣保同盟があり,その評議会の議席を獲得。徐々に合法性を獲得していき
,周辺諸国の要求に応じることで友好と権威を獲得。それに乗じて
マケドニアはアテネ攻撃を開始。(カイロネイアの会戦)
マケドニア軍(3万4千)とアテネ・テーベ連合軍(3万6千)の決戦が行われた。
(若獅子,若きというからアレクサンドロス21歳~18歳の頃ではなかろうか?)
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調べてないので根拠はありません。