2009.04.17.1回
※見取る。岩波国語辞典。
①見て理解する。見定める。みとめる。
②見て写し取る。
③ほか。
看取る。とも書く。
父が30歳代頃の写真がある。
おれより,いい男やんけ。(笑)
父の母親は,父を産んだあと,すぐに死亡した。
父の兄姉は4人いて,3人ともプロレスラーのように
体格がよいのだが,父は末っ子で難産だったせいか?。
体格は細い。
戸籍は難波の戸籍にあったものの,どこかへ里子(母方の実家つまり,「うち」だと思う。)へ出され
うちは元は浜で塩田の仕事をしていたらしく,何人も人を雇っていたらしい。
母乳がないので,どこかでお世話になり。
うそかほんとか知らないが,米のとぎ汁などで育ったという
話しを聞いたことがある。
いつの頃からか知らないが,
今のところで育ち,結局,いとこどおしで結婚し,わたしが生まれた。
そんなことから,父の実家へ連れて行ってもらった記憶は数えるほどしかない。
その母のお墓は,瀬戸内海を見降ろす山の斜面を切り開いてできた墓地の
真ん中あたりより,少し上の方にある。みはらしはよいのだが,夏の8月に
墓参りに行くと照りつける太陽で汗だくになる。
父を引き取った母方の実家は,当時,比較的裕福だったらしく,娘を嫁に出すときは
困らないようにと,ひと山買い(昔は燃料として薪を使っていた),嫁ぎ先へ持参金の一部として
子に与えたという。瀬戸大橋道にかかって,一部売却したらしい。
羽振りの良かったのは,わたしの3代先までくらいだったらしく,
明治の初期頃なのだろう。
船を借り切って,六口島-波に打たれ,ぞうの形をした,通称,
ぞう岩の前-で宴会をしている先祖の写真がある。
仕事に来てくれた人に-今でいう従業員-家が建てられるよう退職金として
土地をわけた。という話を聞いたことがある。
わたしが,まだ4歳くらいの頃,ここが元の家があったところと,母に連れられて
行ったことを記憶している。
4歳の子供からみれば,塀の中におおきな庭木(柿?)が何本か植えられ,玄関の土間とたたきが
広く,大きなおうちに見えた。
そこは,今,駐車場になっていて見る影もない。