1970年の半ば。
新潟イタイイタイ病について,昭和電工の従業員(女性)から
今で言う内部告発があった。
私がいる大阪でも,関連会社の2-4-5TCPによる被害者の住民を
招き,青年婦人部の学習会が行われた。
生産に関わる者として,その職業にどういう姿勢が必要なのか。の
問いかけでもあった。
今考えれば。
それは,資本主義,社会主義に関係なかった。ようにも思う。
どちらにも関係するという意味で。
当然,会社にしてみれば,望ましいことではないので,仕事を干される
という事態が生じた。
本社のAさんは,転勤を拒否。
今では珍しくないが,ヒゲが会社への抗議の象徴になり
それがオシャレに変わった。
ヒゲは手入れが大変でね。と言い。
指名解雇を避けるために,裁判を続けながら名古屋支店へ行ったものの
上司の課長は,「仕事はしなくても良いから」といい,
仕事机の上に持参の本を山積にしそれを読み,
運転免許を取る費用も会社が出してくれた。と笑った。
不合理ではあるが,
どこかの国みたいに強制収容所送りにならなかっただけでも
よしとしなければならないのかも知れない。