定家が見たオーロラ裏付け=13世紀の京都、観測可能―極地研など
時事通信
5 時間前
29.04.04.
13世紀初めに京都で目撃され、鎌倉時代の歌人藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した赤いオーロラは、太陽活動が活発化し、巨大な磁気嵐が連続して起きたため生じたことが分かった。樹木の年輪に残された痕跡や、中国の歴史書などとの照合で裏付けられた。国立極地研究所と国文学研究資料館の共同研究チームが発表した。
太陽表面の大規模な爆発(太陽フレア)が起きると、高エネルギー粒子が地球に到達して磁気嵐を起こし、高緯度地域ではオーロラが観測される。巨大磁気嵐は人工衛星の故障や大規模停電などの影響が懸念されており、研究成果は太陽活動の長期的変化と巨大磁気嵐の予測に役立つという。
極地研の片岡龍峰准教授らは、定家が1204年2月21日と23日に目撃した「赤気(せっき)」の記述に着目。太陽フレアなどがあったとみて調べたところ、中国の歴史書「宋史」の同じ日の記録に、活発な太陽活動を示す巨大黒点の観測記録があった。
研究チームは過去2000年間の地磁気の変化を調査。現在の京都でオーロラを見ることはほぼ不可能だが、13世紀初頭の京都はオーロラを観測できる条件に合致することも分かった。
さらに、宋史に記載されている10世紀から13世紀のオーロラ観測記録と、屋久杉などの年輪に残る太陽活動の周期的変化を照合。活動の極大期にオーロラが観測される一方、太陽活動が長期間弱まった11世紀前半には一度も記載がないことが分かった。
研究チームのメンバーで、和歌文学が専門の寺島恒世・国文学研究資料館副館長は「定家の日記の描写は実に正確で、文理にたけたマルチタレントだと分かった」と話している。