黒い雨:何も知らず水飲み野菜食べた…80歳病苦の人生
毎日新聞
27.02.17.
1日前
黒い雨を体験した当時を振り返る隅川清子さん=広島市佐伯区で2015年2月13日、望月亮一撮影© 毎日新聞
広島への原爆投下直後に降った「黒い雨」を浴びながら、被爆者援護法に基づく援護を受けていない広島県内の40人以上が、国の援護対象区域拡大を求めて集団訴訟を起こす方針を決めた。
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「たたきつけるような、どしゃ降りの雨でした」。広島原爆の投下時、爆心地から約16キロ離れた山あいの村に住んでいた隅川清子さん(80)=広島市佐伯区=は、はっきりと覚えている。黒い雨に遭ってから病苦の人生だったが、被爆者として認められることなく70年がたとうとしている。今回の集団訴訟の動きに加わり、「国は原爆に遭ったと認めてほしい」と訴える。
70年前の8月6日、国民学校5年生だった隅川さんは、広島市街地から北西方向の砂谷(さごたに)村(現佐伯区)にいた。閃光(せんこう)に続く爆音と爆風に「家の前に爆弾が落ちた」と思った。しばらくして、激しい雨で目の前が見えなくなり、田んぼで作業していた人たちに雨具を届けた。自宅の周りには焼けた紙などが舞い落ちてきた。
隅川さんは「何も知らずに山の湧き水を飲み、黒い雨が降り注いだ畑の野菜を食べた」と振り返る。元気な体が自慢だったのに、歯茎がうんだり、度々めまいに襲われたりした。中学生の頃に胃潰瘍や胸膜炎を患い、34歳で子宮頸(けい)がんの手術をした。現在も足のしびれがひどく「体が悪いのは原爆の放射能の影響だと思う」と話す。
就職や結婚への差別を恐れ、長年体験を封印してきた。約30年前に黒い雨の援護対象区域拡大を目指す会に入り、体験を直視できるようになった。ただ、病気について語り始めたのは、ここ数年だ。
黒い雨について国が実態調査をしたことはなく、体験者がどれだけいるのかも分からない。隅川さんは仲間と上京し、厚生労働省への要望活動をした。その仲間たちも減っていき、今冬も腎臓病を患って手術を繰り返していた友人が亡くなった。「私も明日どうなるか分からない」。悲痛な声で語った。【加藤小夜】