会社に入った年は,組合員(労働組合の)ではなかった。
その春の春闘の集会を会社の図書館の中から見ていた。
その時,前の年の2次募集での住吉商業の同期生と一緒にいた。
振り返ってみれば,私は父からああしろこうしろと言われたことがなかった。
父は職人(左官)だった。
人手不足の時に,応援を頼まれ日本家屋の練った壁土(藁が入っている。)を
パレットというのか鋤のようなもので,父に受け渡した記憶がある。
中学校の時だから,おそらく当時でも労働基準法違反だったろう。
ただ,仕事をする父の後ろ姿だけを見ていた。
大切なもの=生きる姿勢。そんなものを暗黙のうちに受け継いでいたのだろう。
いま,振り返ってみても,どうすればよいのか。という
的確な助言が欲しかった。
と今更にして思う時がある。