被害者の中の憎しみ。は,
わたしがサラリーマン時代に体験したことがある。
力関係の中で,むしろ少数派に属し,多数派から理由のない
いやがらせを受ける時もある。
いやがらせをする人の多くは,本来,わたしと同じ世界に
属する味方なのだ。
それが対立する陣営に立っている。
東京,本社でのa氏の話は,以前書いているが,名古屋支店に
飛ばされ,上司から仕事をしなくてもよいからと。
それで,会社の経費で,運転免許証を取りに行った(笑)話し。
東京本社時代は,ヒゲが会社への抵抗の象徴になり,それが
オシャレに変わった。(笑)
これも過去に書いているが。
いまでは,ヒゲは珍しくもないが,当時,ヒゲをはやす人は
どこにも見かけない時代である。
そのa氏が言ったことがある。
力関係の弱い少数派としては,相手を精神的に罵倒するしかない。
課長を〇〇君。と呼び。(笑)
中間管理職の「君」に行ってもしかたがないが・・。(笑)
と,あまりほめられた話でもない。
人は,どこかで心のバランスを取ろうとしている。ということかも知れない。
これを,えらそうに。ととるか,悲しみとみるか?。
人それぞれである。(受け取る感覚-感受性ともいう-の違い)
ミナマタにしても,同情心,やさしさから出発していても,時として
激しい怒りの感情が爆発するときもある。
当然,人だから,憎しみに捕らわれる人と,自分の中に増殖してきた憎しみに
憂え,なげき苦しむ人もいる。
このままでは,奴らと同じになってしまう。と,そのことに苦しむ。
そうすると,加害者が加害者であることに,自己のひどさをそのままに反省することが
ないという場面に,遭遇するとき。
相手をこっぴどくやってやろうという。悪の華が芽生える。
映画でいえば,役者の名前は忘れたが,「夜の訪問者」。といったところかもしれない。
加害者が被害者に転じ,被害者が加害者になる悲しみとでも言うのだろうか。